本を愉しむ 📖 本という平行世界への扉を開け

本を読んでいる時、それはもう違う世界へダイブしているようです。本の中はもう一つの平行世界。もう一つの別の世界を垣間見せてくれた本たちをご紹介します。

『モモ』無駄な時間あっての豊かさ

Odai「我が家の本棚」

私の時間と人生を変えた本

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「モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語」 ミヒャエル・エンデ作 大島 かおり訳

 

みなさん、こんにちは〜

今回の平行世界への扉のご案内は、こちらです!

 

最初の本は何にしようかなぁと思った時、

頭に浮かんだのは、この1973年にドイツで出版された「モモ」でした。今思うと、ある意味この本が今の私の原点でしたね〜。

 

この本は高校三年の時、学校の図書館でフッと目について借りた本でした。

そして、読むのにとても苦労した本でした。まず、大きくて、厚くて、重たくて、本を持つ腕が疲れました。でも、それだけでは無いのです。出だしは軽快で興味が湧いて面白く読み進みましたけれど、途中から何故か読むことが苦痛で苦痛で何度も読むのを止めてしまおうかと思いました。その章が私にとって単調で緩慢で退屈に感じたのです。飽きたら数日読むのを止めて、また少し読み進めて、また数日読まない日が続いたりして、やっとその部分を読み越えた時、それが、正に!作者の意図していたことだと解ったのでした。まんまと仕手やられました。

 

物語は、街外れの円形劇場の廃墟にモモというみすぼらしい服を来た不思議な女の子が住んでいる紹介で始まります。子供達は彼女が大好きで、彼女といると豊かな想像の世界の扉が開いて、悲しい気持ちも元気になって楽しくて安心しました。モモも街の人たちが大好きで穏やかな暮らしが続いていました。

街に時間泥棒の灰色の服を着た男たちが現れるようになってから、街の様子が変わっていきます。人々は彼らの本性を知らずに、「時間貯蓄銀行」へ無駄な時間を節約して預け、いつか、まとまった時間で家族で旅行をしたり、貯蓄した分長生きするんだと言って、減ってしまった時間の中でセカセカと忙しく日々を暮らし始めます。当然、モモの処にやって来る子供も大人もいなくなりました。

モモは、元気を失った大好きな街の人たちの暮らしを取り戻すべく、時間泥棒の灰色の男たちと向き合うことを決意します。

 

 

物語の中で、時間をつかさどる不思議な老人マイスター・ホラやカメのカシオペイアにモモは導かれてゆきます。そのやり取りが、とても深くて、哲学的で、まだ自我の芽生えで混沌としていた高校生の私をハッとさせました。ある場面で、カメのカシオペイアがモモに時間に関しての問題を出します。その問を私も自分で考えてみました。

途中、ゆっくり緩慢に進むものがたりを、モモと一緒に思考を巡らせて読み進みました...。なので、冒頭にも書いたように、時々読むことが苦痛でちょっとイライラして、それこそ無駄に思えるような時間を費やしながら休み休み、途中で放り出すこともできなくて、数日読むのを止めてはまたページを開き、想像と体感を混ぜながら、思考を巡らせながら読み進みました。

 

最後のページを読み終えた時、妙な読みきったぞー!という達成感がありましたねー。

 

そして、改めて何てすごい本なんだろうと、心に深く深く感動しました。

 

  • 無駄な時間なんて無いんだという喜び!
  • 人生をセカセカ忙しなく過ごしたら、それはもう生きているっていえない。
  • 直進だけじゃなく、回り道も、迷い道も、立ち止まることだって、豊かさだ。
  • 自分の時間を搾取されることは、「生きること」を放棄すること!
  • 他人や必要なことのために時間を割くこと自体は搾取じゃないよね。そこに、ちゃんと自分が存在していれば、OK。
  • 生きることを、自分不在で作業効率の上に置くような時間の使い方をしていたら、心が荒んで貧しくなります。

(諸にそんなマイペースな私の被害を被ったのは、母でした。家事を手伝わせることがナカナカ困難でした。あの時は表面的にしか理解できていなくて、全く「時間との関係」が解っていなかった。今更ながら、すいません。ーー今もまだ途上です。)

 

 ★「モモ」に関してのデータ的なことは、ウィキペディアでチェックしてください。

 

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「モモ」を読んで、作者のミヒャエル・エンデとは一体どんな人物なんだろうと興味が湧き、彼のことについて書かれた本を読みました。子安美知子さんが書かれた、その名も「「モモ」を読む」! 

エンデは、1985年に日本で公開された映画「ネバーエンディングストーリー」の原作者でもあります。作家活動だけではなく、経済など様々な分野に提唱を鳴らしている人でした。想像力の持つファンタジーの力について語っていて、「モモ」も「ネバーエンディング・ストーリー」も単なるお話やエンターティメントではなく、伝えたいメッセージが強いからあんなにも魅力的なのだと知りました。

 

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他にも私の気を引いたのは、彼が通っていたドイツのシュタイナー学校でした。その学校では、自由への教育を掲げ、テストも通知表もなく、私が受けていた日本の公立学校とは正反対の学校のように感じてとても興味を惹かれました。それで今度は、子安美知子さんがお子さんの体験を綴ったシュタイナー学校についての本を読みました。当時まだPCは普及していなくて、もちろんググることもできませんから、調べたいことが書いてある本を探して読むのです。
更に、憧れは募りました❤️

 

やがてそんな熱も冷め、すっかり忘却の彼方へと追いやられ、忘れていました

 

「モモ」を読んでから10数年経った頃、娘が生まれました。


病室で、生まれたばかりの彼女の寝顔を見ながら、嬉しさと戸惑いと重責が...
そして、ただ、一つの思いが、

「この子は、女の子だけれど、性別に左右されず自由に好きなことをして生きていく女性に育って欲しい」ただ、どうしたら、そう育てられるというのか??

 

その疑問を残したまま、自宅に戻って新生児との暮らしが始りました

昼も夜も混沌としたさ中、 (10年経ってネットが普及しました!)

 娘が寝入った隙をみてネットサーフィンをしていた時、

 突然、

「自由への教育 シュタイナー学校!」というタイトルが目に飛び込んできました。

 

それは、かつて憧れたあのエンデも受けていたシュタイナー教育を元に、日本で設立されたシュタイナー学校の案内でした。


シュタイナー学校は世界中に点在して、それは日本にも、カナダにも在ります。
大概はじまりは、シュタイナー教育を我が子に受けさせたい親が数名集まり、全て親のボランティア活動で設立運営される非営利私設学校で、人智学を創設したルドルフ・シュタイナーがドイツで提唱した教育論を元に営まれている学校です。

ここに、高校生だった私の憧れが年月を経て、現実のものに繋がりました

まぁ、ただ...、通うのは私ではなく子供達でしたが (; ̄ェ ̄)残念...

なので、積極的にボランティア活動をして、カナダの子供達に日本語や日本文化をシェアしたり、間接的に私も大いに学び体験させてもらいました。

 

「モモ」で語られていたような、

 多くの無駄と思えるような豊かな時間を紡いで、子供達が成長していきました。

 それは、心からの掛け替えのない、有難い時間でした。

 

これから、ますます「モモ」の中で語られるメッセージが大事になっていく時代だと思います。機会があれば、是非お手にとって読んでみてください。

 

無駄な時間あっての 豊かさ です

スローライフ丁寧な暮らしを見直したい

あなたへ、灰色の男たちが「時間貯蓄銀行」キャンペーンを囁いていませんか?
気をつけましょう! 時間を節約しても貯蓄されません。
みんなに等しく24時間>足すことも引くこともできません
あなたを豊かにする時間へシフトしていきませんか!?
暮らしがあっての仕事

 

 

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